私見に満ち満ちた調理理論とワイン考

 この若かったあの頃をついこの間のように思いだす。

この世界に足を踏み入れた日のことだ。

更衣室に案内され、真新しいコックコート、帽子、パンツ、サロンと渡された。

どういうふうに着たらいいものか悩みながら着替えて、恐る恐る厨房に入った。

あの頃の大人は怖かった、優しい言葉なんて、どこにもなかった。

何を言われても、その意味さえ道具の名前すらわからない。

それでも憧れの職業に就けて、コックコートを身につけているだけで誇らしく思えた。

これといって何の仕事があったわけではない、ひたすら鍋を洗う。毎日毎日、鍋を洗うの繰り返しだった。

調理作業の習得とい観点から考えると、明らかなロスタイムである。

では、一人前になるのに何年修行したらいいのか?  何年もこの世界にいて、いろんな人と関わってきて言えることは、

けして時間、年数だけではないと。

経験を積むということは失敗した経験が他者より必ず多いのである。

失敗の数が多くあれば、同じ轍を踏まなくなる。したがって不出来な料理の数は必然的に少なくなるのである。

失敗を失敗と気づく人と気づかない人がいるのが問題なのである。

熱の入れ方、焼き色、新鮮さ、取合せ、

風味、見た目の美しさ、等々

原材料は個体により違う、同じものは二度とない。厳密にいえば二度と同じものは作れない。

その材料に向き合い、どうするかを表情を観ながら考える。

自身の力でねじ伏せて料理を作ろうと思った時期もあった。

奇をてらった料理を作ったこともあった。

今はといえば、原点回帰している。

食べて、疲れない、穏やかに食べられる、

感嘆するほど美味しく感じるのではなく、

あとから、じんわりと美味しく感じ。

全てを終えて、後味のいい料理を作ろうと思っている。

そういう料理人に私はなりたい。


なんか、宮沢賢治みたいになってきたので今日はこのあたりで。


      またのご来遊を!