私見に満ち満ちた調理理論とワイン考

あっというまに猛暑の夏を過ぎ、いきなり晩秋の気候だから体調を崩している人も多い。

言葉も料理も時代の流れの中で変化する。

変化していくのは当たり前のことである。

過日、十数年ぶりにラーメンを食べてみた、

やはり、完食できなかった。

その上気分が悪くて仕方なかった。

若い頃からラーメンは苦手だった。

理由は幼い頃に遡るのだが、お歳暮で味の素の詰め合わせを頂き、子供ながらにそれを舐めてみたら吐きそうなほど気分が悪くなりそれ以降、化学調味料を口にするとその時のことを思い出す。

加えて、母も化学調味料を使わない人だったことも影響している。

化学調味料のすべてに言えることは後味が悪いのはなぜなのだろう?

今でも風邪などをひいて高熱にうなされるような時には必ずと言っていいほど味の素の海で溺れる夢をみる。それは、それはおぞましい光景である。 ということで化学調味料のことを話したい。

味の素、ほんだし、ブイヨン等々いろいろあるが、すべてが化学調味料なのである。


昨今の激辛にも通じることなのだか、ある種の麻薬みたいなもので、どこまでもエスカレートしていく。

さらなる刺激を求めてキリなく振りかけるのである。

料理人としては化学調味料に頼るのは、ある意味、敗北ではあるまいか。

美味しいと言う言葉があるが、美味しいと思うのは主観であるから絶対的なものではない。

非難を覚悟していえば、中華料理の味は味の素ナシでは語れないほどになってしまっている。

味の素の功罪である。

昨今のスナック菓子、調味料どれを口にしても、いわゆる”旨味”が強すぎるのである。

いつも思うのだか、最後まで食べて後味がいい。

余韻がいい、そういうモノを提供していきたい。


私の好きな、今は亡き開高健が言っていた。

酒は飲みやすく、限りなく水に近づいていく。

無技巧が技巧の極みだと暗示させられる。と


    見事なほどに的を射る表現である。


                    またのご来遊を!